秋山 幹男/著

あいり出版 2013.12

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資料詳細

タイトル 秋山幹男著作集 2
著者 秋山 幹男 /著  
出版者 あいり出版
出版年 2013.12
ページ数 497p
大きさ 22cm
一般件名 発達心理学 , 親子関係
NDC分類(9版) 143.08
内容紹介 「親子の似より感」研究の成果をまとめる。「〈私〉とは」「「内なる他者」とは」何かについて考察し、「親子の似より感」研究の方法の建て方と結果を論述。きょうだい・友人との関わりなど発展研究に関しても言及する。
ISBN 4-901903-84-4
定価 ¥4500

内容一覧

タイトル 著者名 ページ
「親子の似より感」研究の現状とそのパースペクティブ 2-10
自己形成と親子関係の関連性 10-17
親子の似より感と自己受容について 17-21
<関係性>の心理学について 21-23
「内なる他者」を見つめる目 23-25
<私>と「内なる他者」の導き手 25-28
理論化への次なる一歩:「似よることとズレること」 29-34
人生を三段階でみる理論モデルの研究 34-40
「自己を超える」・「超えて含む」とはいかなることなのだろうか 41-47
<私>についてのさまざまな示唆 47-49
家族システム論を超えるような考え方の抽出に向けての始動 49-54
人生の第2段階における特別な体験と人生の第3段階がもたらす心の変化に関する研究 54-61
論文(2006)後における一年間の理論構築の補強作業について 61-67
他者とのかかわり方 67-70
他者とのかかわり方 70-73
青年期の位置づけと特徴 76-77
青年の親に対する認知 78-79
自己と父母の三者の認知関係 79-80
青年期の自我同一性と、調査方法の迷い 80-82
「似より感」の群分けの確立 82-84
調査用紙の作成と分析方法 85-91
研究テーマ探しの旅 91-98
研究パラダイムの変換 98-100
「同一性」概念と似より感/ズレ感 100-105
養育態度と継承化のプロセス 107-109
親子の似より感研究の到達点と今後 109-112
心内化プロセスが与える影響 112-115
両親と女子学生の間の性格認知 115-118
人生の第2段階での自己認知と第3段階へ 118-121
交流分析からみた群差の理解 121-124
娘と両親の似より感の詳述 124-127
抽出された4因子について 130-139
4因子の各構成項目の出現率 139-151
4年間の縦断的研究 151-155
親子の似より感と女子学生の性格との関連 165-182
親子の似より感と自己受容について 182-194
時間軸と空間軸からみた自己の定位 194-212
心理学的健康と時間軸にそった自己意識 212-231
親子の似より感と結びつき 231-252
交流分析における自我状態について 252-266
親子の似より感の推移について 266-284
若い母親の養育態度と親子(幼児)の性格認知 285-298
女子学生とその両親が捉えた性格の相互認知 298-306
成人における実父母との似より感 307-327
娘は両親のどこと似よるのか 327-344
両親と女子学生の時代的背景 345-349
親子関係について 350-362
家族関係について 362-374
両親の幼児に対する養育態度と性格認知について 375-403
きょうだいからみた青年期の親子の似より感と心理的距離の研究 403-413
女子学生の友人関係に関する研究 414-419
人格形成における螺旋的発達理論の構築 421-424
出会いという関わりについて 424-428
出会いという関わりについて 428-432
出会いという関わりについて 432-438
出会いという関わりについて 438-445
「内なる他者」という第二の自我を提唱する意義について 445-452
なぜ私たちは質問紙調査において、曖昧な表記でもサッサと自己判断ができてしまうのであろうか 452-453
アサジョーリ,R.とミンデル,A.の考え方について 454-464
<私>のその後の進行中の思索について 464-468
21世紀における親子関係・家族関係の姿はいかに… 468
思春期を見据えた「今、ここで」の子育て 469-477
愛しい子どもからのメッセージ(含、SOS)を親はどう受け止めていけばよいのか 477-480
“ほどよくほっておいてほしい"・“話は聴いてほしい" 480-481