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1 件中、 1 件目
放送批評の50年 NPO法人放送批評懇談会50周年記念出版
放送批評懇談会/著
学文社 2013.6
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オーテピア高知図書館
3Fビジネス
/699.04/ホウ/
1107237453
一般
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館名
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資料詳細
タイトル
放送批評の50年
副書名
NPO法人放送批評懇談会50周年記念出版
著者
放送批評懇談会
/著
出版者
学文社
出版年
2013.6
ページ数
955p
大きさ
22cm
一般件名
放送
NDC分類(9版)
699.04
内容紹介
一貫して「放送」をウォッチし、論評してきた専門誌『放送批評』『GALAC』。その掲載論考の中から、1967年から2012年まで、それぞれの時代状況や時代の息吹を象徴するものを選び出し、収録する。
ISBN
4-7620-2380-4
ISBN13桁
978-4-7620-2380-4
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内容一覧
タイトル
著者名
ページ
テレビ媒体の理論と実態
志賀 信夫
16-27
弛緩のメディア
稲葉 三千男
28-39
Quo Vadis,Radio?-番組と営業サイドからみた民放ラジオ-
島地 純
40-47
ドキュメンタリとルポルタージュ
牛山 純一
48-58
七〇年安保にからむ放送
志賀 信夫
59-81
「テレビとは何か」という問いの重味
青木 貞伸
82-88
ヒューマン・タッチをCMにもりこむには
荻 昌弘
89-101
牛山純一にきく「ベトナム海兵大隊戦記」
青木 貞伸
102-107
十二歳の放送番組審議会
鳥山 拡
108-118
陽焼けした生活人からの発言
萩元 晴彦
119-125
<ラジオ>からの証言
吉村 育夫
126-131
国家と放送
清水 英夫
132-140
「テレビ」は何を発注するか
佐怒賀 三夫
141-149
ジャーナリズムとしてのテレビ
山本 明
150-157
報道とパブリシティの間
松田 浩
158-165
ドキュメンタリー「キャロル」
竜村 仁
166-172
不可視なメロ・ポリティックス
松尾 羊一
173-181
現代における中継
藤竹 暁
182-190
放送はエスタブリッシュド・メディアである
後藤 和彦
191-199
匿名性と記名性について
別役 実
200-204
“個"と“普遍性"の振幅においていかにテレビ批評を成立させるか
山本 明
205-215
テレビはジャーナリズムたりうるか
矢崎 泰久
216-228
活字と映像の間
沢地 久枝
229-233
三時間ドラマはかく創られた
大山 勝美
234-250
オレ!音像人間タモリ
タモリ
251-258
ビデオ・コミュニケーションの思想
野崎 茂
259-267
低俗とは
沢田 隆治
268-274
美しくて哀しい世界を描きたい
木村 栄文
275-277
特集・現代、テレビドラマツルギー
事実とフィクション
大山 勝美
279-285
演出者たり得るために
和田 勉
286-293
近代劇のドラマツルギー
山田 太一
294-301
地方と自然と人間
伊藤 松朗
302-309
インタビュー
山藤 米子
310-312
要約文化を象徴する「プロ野球ニュース」
藤竹 暁
314-321
コミック文化としての「マンザイ」
松尾 羊一
322-327
話者たちのいるラジオ・いないラジオ
三国 一朗
328-337
意味の世界としてのドキュメンタリー
牛山 純一
338-344
テレビにぬくもりを感じる瞬間
山田 太一
345-356
特集・ドラマ-テレビ巨匠時代
新鉱脈との出逢いは楽しい
深町 幸男
358-361
個人様式・集合体の様式そして時代様式
鴨下 信一
362-365
「-」の重さ
内館 牧子
366-369
新しい時代の情報番組が生まれた
三木 鮎郎
370-375
批評のないところに進歩はない
佐藤 精
376-386
スーパーウーマン“おしん"
麻生 千晶
387-393
テレビ・メディアの弱点を衝く
石原 正礼
394-415
憂国TV論
平岡 正明
416-427
女・子どもでなぜ悪い
大山 勝美
428-435
大衆の正しい力学が時代を創る
堀 威夫
436-450
テレビは何を伝えたのか
稲葉 三千男
451-460
既存メディアにしがみつくな
島 桂次
461-469
エレクトロニクス未来形
高田 佐紀子
472-477
テレビにたりない憲法論争
奥平 康弘
478-484
地上ローカル局のサバイバル試論
河内山 重高
485-491
イコールパートナーの光と影
村木 良彦
492-499
国境を越える電波
篠原 俊行
500-506
郵政省失政録
坂本 衛
507-525
“やらせ"考
マスコミの扱いと責任のとり方
原 寿雄
526-530
ドキュメンタリーの不幸
竹山 昭子
531-535
KBS京都 根抵当の怪とダイエーの思惑
田比良 敏夫
536-541
窮地の“言論・表現の自由"
権田 万治
542-553
“地震列島"メディアの課題
青木 貞伸
554-560
阪神大震災報道もうひとつの問題点
辻 一郎
561-565
テレビと新聞の「競争」と「共生」
新井 直之
566-573
沖縄県民の冷静な怒り
比嘉 要
574-580
沖縄も本土も元凶は日米安保
加藤 久晴
581-587
“新生TBS"への残された宿題
伊予田 康弘
588-594
テレビは文化事業である
田村 穣生
595-603
個人視聴率なんて10年はやい
五味 一男
604-609
放送にとって批評とは何か
吉本 隆明
610-616
なぜ君は“放送批評"するのか?
藤田 真文
617-623
テレビマンユニオン・ディレクター是枝裕和
上滝 徹也
624-631
消すな!時代劇職人の技
嶋田 親一
632-637
メディアに“ナイフ殺人"の責任はない
飯田 譲治
638-648
ドキュメンタリーは地方から再生する
中村 登紀夫
649-657
北朝鮮はテレビのタブーか?
石高 健次
658-663
「参考人招致」なる不愉快
清水 英夫
664-671
増殖する“サッチー"というイメージ
今村 庸一
672-680
“失われた90年代"を広告はこう描いた
兼高 聖雄
682-687
バラエティ番組を席巻する“素人"パワー
原 由美子
688-693
そしてドラマはバラエティ化した
上滝 徹也
694-699
「アトム」たちが作った新しい世界
諸橋 泰樹
700-711
「密室」政治より「ワイドショー」政治のほうがまし
藤竹 暁
712-721
コミュニケーションはどう変容したのか!?
兼高 聖雄
722-730
地上デジタル現行計画「すでに破綻」の決定的理由10
坂本 衛
731-750
久米宏のいた時代
小中 陽太郎
751-760
視聴率の歴史と「これから」
岩本 太郎
761-767
日本にも懐かしい恋愛シーンのときめき
中町 綾子
768-774
異業種が狙う放送ビジネス!?「ネットと放送の融合」という幻想
坂本 衛
775-784
「記憶」と「記録」の間に
藤田 真文
785-793
政府・自民党が“経営改革"を叫ぶ四つの背景
小田桐 誠
794-802
揺れる!バラエティと報道の境界
山田 健太
803-810
制作会社40年間の死闘
岩本 太郎
811-821
“やらせ"“捏造"はなぜ起こるのか?
碓井 広義
822-828
崇高な理念と利害の狭間
砂川 浩慶
829-834
リメイクするより、いまを撃て!
鶴橋 康夫
835-843
テレビが自らを検証する時
鈴木 嘉一
844-851
変貌する東アジアのTVドラマ
中町 綾子
852-858
ポストYou Tube時代の放送批評
津田 大介
859-864
報道現場を縛る「三つの制約」
山田 厚史
865-870
膨張する放送外事業
川本 裕司
871-882
第三者機関に頼らない倫理とは
大石 泰彦
883-889
時代の無意識が見えるドラマ
上滝 徹也
890-895
作り手が語るドキュメンタリーの魅力と可能性
右田 千代
896-904
東日本大震災の被災地を歩いて
吉岡 忍
905-914
実態とかけ離れていたテレビ報道
東京大学大学院学際情報学府
915-921
ラジオの役割は見直されたのか
高瀬 毅
922-930
BSパラドックスを乗り越えろ
川喜田 尚
931-939
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